100年前のモンゴル、激動の時代

この記事執筆時から100年前、1921年にモンゴルは旧ソ連の助けを借りて中華民国から独立しました。その後の革命を経て、旧ソ連から技術や文化を取り込み、急速に発展してきたモンゴルを少し振り返って見てみましょう。

20世紀初頭、清王朝は外モンゴルと中国を統一する政策を打ち出しました。1911年の夏、モンゴルの高官や僧侶たちはこの政策に抗議し、助けを求めてロシア帝国のサンクトペテルブルクに行きました。

ロシアはモンゴルを支援することにしましたが、高官たちがモンゴルに帰国する途中、中国で革命が起こり清王朝の影響力が低下しました。

1913年に内モンゴルと外モンゴルを統一するため、モンゴル国は軍隊を派遣しましたが、ロシア帝国と中国からの圧力により軍隊を撤退させました。そして、モンゴル国は独立宣言をしたにもかかわらず、1915年の三国条約によりモンゴルは中国の自治国家となり、独立を失いました。

1919年にロシアの10月革命からの影響でモンゴルの自治を破棄する協定が強制的に署名される事が起き、この状況下にモンゴル人民党が結成され、旧ソ連に助けを求めました。

そして1921年、ダムディン・スフバートルの活躍と旧ソ連の赤軍の援助により、ボグド・ハーンを立てて中華民国から独立を宣言しました。

社会主義国家の設立

1924年、ボグド・ハーンの死後、コミンテルンの指導のもと、モンゴル人民革命党による一党独裁の社会主義国を宣言し、世界で2番目の社会主義国家が誕生しました。

当時中国や日本はこの独立を認めていませんでしたが、1945年に中華民国はモンゴルの独立を認めました。

1929年にホルローギーン・チョイバルサンが元首となり、私有財産の没収、宗教の制限、一部の市民を不当に逮捕、拘束していきました。1937年の大粛清では3万人以上が殺されたそうです。

1960年代、モンゴルは急速に経済が成長し、識字率も急速にのびました。1961年に国連加盟国となり、西側諸国との国交も始まりました。

1972年には日本との国交が樹立がなされました。

まとめ

ざっと歴史を振り返ってみても、なかなかハードな流れですよね。大国の間に挟まれる苦悩や、その中での奮闘や生き残りをかけた活動の末の革命であり、その後の発展や、逆に弊害もあり、奥が深いと思いました。