日本人初!?モンゴルの聖地に登った体験記
モンゴルの王様(ハーン、あるいはカーン)や家臣たちだけが集まり、宴を開いていたと言われる
Ноёны хүрэн(ノイニーホルン、貴族の山)。そこにおそらく日本人で初めて登ってきました。
現在ではモンゴルの大統領が就任すると、必ず登ってお祈りをするそうです。聖地として扱われており、今でも男性のみ登ることが許されるとのこと。モンゴルの男性でもめったに登ることはできず、政府関係者や地元のホウド県に縁ある人くらいしか登る人はいないと聞きました。
そんな中で、義理の両親がホウド出身で、ホウドが100周年である年を記念して、一家の男たちみんなで登ることになりました。
めったに登ることもできない山に、なんの奇跡か、登ることができたので、その体験談をお伝えします。
ウランバートルからホウド県へ
ところで、ホウドとはどこにあるのでしょうか。
ховд аймаг (ホウド県、ホブド県)はウランバートルから約1,300kmほど西に行ったところにある県です。義理の両親の生まれ故郷はそのホウド県のдарви(ダリウ)というところです。
このようになかなかに遠いですよね?私達は1泊2日でダリウまでたどり着きました。
しかし、現地の人の中には、朝5時くらいに出発して、途中で昼寝をはさんでその日のうちに到着するという、ツワモノもいらっしゃるそうです。すごいですね。。。
山の麓のキャンプ地へ
ダリウの町から今度はノイニーホルンの入口にあるというキャンプ地まで移動が必要でした。
町からキャンプ地までは完全なオフロードです。
まさか川まで渡っていくとは思ってませんでした。モンゴルではこのくらいの道を突っ切るのも普通らしいです。日本ではまず体験できない、スリリングな旅になりました。
こんなオフロードを走ることが多いため、モンゴルではランドクルーザーやハリアーなどの4WDで車高が高いクルマが人気です。中にはプリウスで走破しようとするチャレンジャーもいますが、バンパーが外れてなくなっている車も見受けられるので、チャレンジはほどほどにしましょう。
キャンプ地についてからテントを張って、この日はゆっくりと休み、次の日に登ることになりました。
その間で、馬に乗る練習をしました。あとから聞いた話ですが、この練習の様子と私の態度からやる気と気合を感じたらしく、お義父さんから山登りの許可が降りたそうです。
馬に乗るときのポイントは、後ろから近づかずに横から近づくこと。怖がらずに堂々としていること。緊張していたり、怖がっていると馬は敏感に感じ取っており、余計に言うことを聞いてくれないそうです。
止まっているときにすぐ草を食べようとするので、手綱を軽く引っ張って簡単には食べさせないこと。こちらの立場が上であることを分からせるため、いつでもどこでも食べてOKと思わせないようにコントロールする必要があるとのことです。かといって強く引っ張ると馬が嫌がるので適度な力で引っ張るといいです。
坂を登るときは重心をやや前に、下るときはやや後ろにしてバランスをとります。最初は少し大げさにやっていましたが、慣れてくると少しの動きでもバランスがとれました。
いざ、ノイニーホルンへ
2024年7月20日、ノイニーホルンへの登山を開始しました。
案内人の方2名と義父、息子たち4名、ワンちゃん2匹のチームで登っていきました。
標高がすでに2000m近くあるので、完全防寒の装備が必要でした。上の方に行くと軽く雪が降ったりもして、とても寒かったです。途中で分厚いモンゴルのデールをお借りできたので、耐えきることができました。
ついにノイニーホルンの頂上へ
そんなこんなで登ること数時間、ついに頂上へと到着しました。
羊?鹿?の頭の骨や、過去に登頂された方々が祈りを込めて結んだ旗や布が祭壇になっていました。
ここで牛乳や穀物をこの石の祭壇を時計回りに3周、回りながら撒いて、祈りを捧げてきました。
そして沖縄から持ってきた石を、この地にお供えして、日本とモンゴルの交流と発展を祈願してきました。
まとめ
今回のノイニーホルン登山は、日本人初、かもしれない貴重な体験でした。
ホウドに縁ある人の婿となり、こうして多少なりとも危険を伴う登山に参加し、意味ある体験ができたことに感謝ですね。
厳しい環境をものともせずに暮らしているモンゴル人の強さ。かつて大帝国を作り上げたモンゴル民族の根源を、少しは感じられた旅でした。